私の第二の故郷、ニュージーランド・クライストチャーチにまた行きたい
20代のあの日、私は自分を試したくて日本を飛び出し、ニュージーランドのクライストチャーチでワーキングホリデーの1年間を過ごしました。
クライストチャーチは、ニュージーランドの南島にあります。多くの海外からの航空機路線は北島のオークランドに飛んでいます。


あれから20年以上が経ち、街の景色は変わってしまったかもしれませんが、あの時の経験と、現地で結んだ縁は、今も私の人生の宝物です。
久しぶりにあの街に想いを馳せて、読者の皆さんにもクライストチャーチの魅力と、私が経験したリアルな現地生活をご紹介します。
1. 20代の挑戦。「度胸」で手に入れた新しい世界
「多少英語はできるだろう」と安易に思って旅立った私を待っていたのは、会話や風習の大きなギャップでした。
最初の3ヶ月は、海外沿いの美しい地域サムナーでホームステイをしながら、毎日バスで学校へ通う日々。最初の半年間は正直、言葉の壁にぶつかり、きつかったことを覚えています。
サムナーは、クライストチャーチの街中から30分ほども車で走らなければいけない遠い地域でしたが、素敵な海岸沿いの地域でした。

でも、半年を過ぎた頃から不思議と耳が慣れ、風習にも慣れ、暮らしの中で英語を普通に使えるように。語学力の向上ももちろんですが、何よりもあのワーホリ生活で得たのは、「度胸」。これに尽きます。新しい環境に飛び込み、自分で道を切り開く力がつきました。
2. 街の心臓部で暮らす:ハグレー公園とルームシェアの日々
ホームステイの後、私は街の中心にある巨大な公園、ハグレー公園のそばで一軒家のルームシェアを始めました。ニュージーランド人のオーナーや韓国人の友人など、4人での共同生活。まさに、私が求めていた現地の生活感に入り込む日々でした。
ハグレー公園は、街の中心に広がる広大な緑地で、市民の憩いの場。この公園のそばで暮らしたことで、私たちは観光客ではなく、クライストチャーチに根付いた「住民」として日々を過ごすことができました。

今もハグレー公園ではクリケットの試合や大規模なフェスティバルが開催され、市民の生活と密接に結びついていると聞きます。20年前に住んでいた家のそばを、また歩いてみたいものです。
3. 人生で一番の思い出:大聖堂とトラムが彩る結婚式
クライストチャーチが私にとって特別な場所になったのは、帰国後に現地で結婚式を挙げたからです。

当時、学校帰りによく寄っていたのが、街の中心にあるクライストチャーチ大聖堂とその周辺の出店です。その大聖堂のすぐそばの教会を、現地の知り合いに頼んで予約してもらいました。
韓国経由の格安チケットと、B&B(いわゆる民宿)を自分で予約し、現地でレンタカーを借りて、私が現地ガイド状態。結婚式には、現地で知り合ったホストファミリーや英語の先生など、大切な人々が参列してくれました。
式後はそのまま街へ繰り出し、大聖堂の前や隣接する植物園などで写真撮影。街の歴史と自然が詰まった風景の中で残した写真は、今も人生の宝物です。

【トラム】 街中を走るトラム。この景色こそが、私たちが愛したクライストチャーチの象徴です。
4. 復興の街の力強さ:変わる景色と変わらぬ絆
しかし、私たちが愛した街は、2011年に巨大地震に襲われました。大聖堂は甚大な被害を受け、多くの日本人留学生が亡くなったという悲しいニュースも記憶に新しいです。

【地震後】 現在も再建が続く大聖堂。復興のシンボルとして、街の力強さを体現しています。
今も大聖堂の再建は続けられており、完成は最短でも2027年頃と聞いています。街の中心部では、コンテナを使ったユニークな復興の知恵も生まれ、市民の精神的なよりどころであった大聖堂を取り戻そうと、皆が努力を続けています。
5. また行きたい!そしてまた学びたい
現地でたくさんの地域の方々、そして現地の方々とも知り合いになり、帰国後も数回再訪しましたが、もう20年以上、行く機会がありません。
もはや英語を使うことが少なくなってしまいましたが、あの時の「度胸」と、現地の生活に飛び込んだ「経験」を活かして、また英語を学びたいという思いが強く湧いています。
私の旅の基本は、またしてもB&Bやシェアハウスを利用して、「いかに現地の生活感に入り込めるか」をテーマに旅をしたい。変わりゆく街の景色と、変わらないハグレー公園の緑、そして再建された大聖堂の姿を、自分の目で見たいと強く願っています。
クライストチャーチは、私に勇気と愛、そして人生の土台をくれた、永遠の第二の故郷です。

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